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○0669『「空気」の研究』

『「空気」の研究』
著者名:山本七平 出版社:文春文庫 文責 理科 井上嘉名芽

 場の雰囲気を「空気」という表現でしばしば使われることがある。例えば会話中で「空気読めよ」や、会議後の話などでは、「そんな話を持ち出せる空気ではなかった」というフレーズがそれにあたる。この「空気」が今までの歴史を見ても大事な局面で「支配」してきたことは間違いない。では、「空気支配」の歴史は、いつ頃から始まったのであろうか。
 おそらく猛威を振るい出したのはおそらく近代化進行期で、徳川時代と明治初期には、少なくとも指導者には「空気」に支配されることを「恥」とする一面があったと思われる。「いやしくも男子たるものが、その場の空気に支配されて軽挙妄動するとは・・・」といった言葉に表されているように、人間とは「空気」に支配されてはならない存在であっても「いまの空気では仕方がない」と言ってよい存在ではなかったはずである。ところが昭和期に入ると共に「空気」の拘束力は次第に強くなり、いつしか「その場の空気」「あの時代の空気」を、一種の不可抗力的拘束と考えるようになり、同時にそれに拘束されたことの証明が、個人の責任を免除するとさえ考えられるに至った。
 現代でも抵抗がないわけではない。だが、「水を差す」という通常性的空気排除の原則は結局、同根の別作用による空気の転位であっても抵抗ではない。従って別「空気」への転位への抵抗が、現「空気」の維持・持続の強要という形で表れ、それが逆に空気支配の正当化を生むという悪循環を招来した。従って今では空気への抵抗そのものが罪悪視されるに至っている。
 しかし、ここで忘れてはならないことは、空気も水も、現在及び過去のものであって、未来はそれに関係ないということである。従ってこの方法をとるとき、人は必然的に保守的にならざるを得ないのである。そして過去の水は常に「目の前に予測しうる現実としての未来」を「差す」ことによって、この空気に対応するという形になっていた。だがそれも、いわゆる先進国の「現在」を自己の未来として臨在感的に把握することによって可能だったわけで、これは厳密な意味の未来ではない。
 また、「空気支配」を宗教的観点からも考えている。昔から日本で信仰されてきた、儒教は「集団」を重んじ、キリスト教は「個人」を重んじている。この違いからも日本特有の「空気支配」が生まれてくると詳説している。


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