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○0779『李陵・山月記』

『李陵・山月記』
著者名:中島敦 出版社:新潮文庫 文責 国語 坂本幸博

 以前、この書評において、603『山月記・李陵』(集英社文庫)として「名人伝」を評した。その書評の最後に「中島敦の最高傑作は李陵である」と述べた。そこで今回は、その「李陵」について評していきたい。
 李陵は前漢時代の将軍で、援軍として先行する部隊を救うため、六倍の相手(西方の異民族)に善戦するも、寝返ったと誤解された悲劇の武将である。五千の兵で敵三万のうち、一万を倒したが、そこで力尽き敵の捕虜となってしまう。捕虜となってからは、その優秀さ故に敵国に厚遇され、部下になるように勧められたが、故国への忠義によりそれを断り続ける。しかし、漢の皇帝は敵の捕虜から「李将軍が我が国に寝返り、漢の兵法を教えている」と聞かされ、李陵の一族郎党を皆殺しにしてしまう。ところが、その「李将軍」とは、李陵とは別の、先に敵国に降伏した人物(李緒)であった。それを知った李陵は激怒し、李緒を殺し、以後、自らすすんで敵国のために働くようになるのである。 
 漢では、李陵をかばうことは、乃ち、皇帝の逆鱗に触れることを意味していた。しかし、李陵の友人であった勇敢な一人の男が、それを行うのである。彼こそ『史記』の編者として、後の世にまで名高い司馬遷である。司馬遷は当時、一介の文官に過ぎないため、皇帝に異論を述べたことにより、宮刑に処されてしまう。宮刑とは男性器を切除される刑のことで、当時は死刑の次に重い刑であった。しかしながら「男(宦官を除く)」にとっては死刑よりもつらいものであったことは想像に難くない。物語は、李陵よりもこの司馬遷の心理描写を中心に展開していく。
 司馬遷が、ある意味「死んだ方がまし」といえる状況になってまで、生きながらえたのは『史記』を完成させるためである。父祖の代から取り組んできた一大事業を、自身の代で終わらせるわけにはいかなかったのである。しかし『史記』は歴史書であるため、そこには自身と同じように宮刑に処された人物や、男性器を切り取り、宦官となることで出世しようとし、さらに出世した後は、私腹を肥やした人物に関する箇所をまとめなくてはならない時もある。その時、司馬遷はまるで獣のようなうめき声を上げ、苦しむのである。友人をかばったことを何度後悔したことであろう。自身の正義を曲げなかったことを何度後悔したことであろう。
 しかし、司馬遷は自身を奮い立たせるのである。そうして前に進んでゆく。一方、李陵は友人である司馬遷が自身をかばって宮刑に処されたことを知る。しかし、そのことは李陵に何の感慨ももたらさないのである。李陵にとっては、一族郎党皆殺しにされたことの方が、もっと重大なのである。
 我々は、この部分をどのように読み込んでいくべきであろう。司馬遷の悲しみ、苦しみ、また、友人のため、自身の正義のために、主義主張を変えなかったことに対する「後悔と満足感」をどのように読んでいくべきであろう。李陵の悲しみ、忠義を尽くしていたにもかかわらず誤解され、一族郎党皆殺しにされた悲しみ、また敵国の捕虜として生きていく事への悲しみ、さらに敵国に厚遇され故国の敵になった、いや「ならざるを得なかった」ことに対する悲壮感をどのように読んでいくべきであろうか。
 まさに「中島の最高傑作」と呼ぶにふさわしい作品である。


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