ToO Gijuku Topics(東奥義塾)
東奥義塾高等学校 公式ブログ

○0803『大山巌-剛腹にして果断の将軍-』

『大山巌-剛腹にして果断の将軍-』
著者名:三戸岡道夫 出版社:PHP文庫 文責 国語 坂本幸博

 明治以降の軍人で一番優秀な司令官は誰であろうか。
 当時無敵であった世界最強のバルチック艦隊を日本海戦で破った東郷平八郎。日露戦争ではその東郷を補佐し、日清戦争では「単縦陣」による戦闘方法を進言し、黄海海戦の勝利に貢献した島村速雄。多大な犠牲を払いながらも(息子二人も戦死)難攻不落の旅順要塞攻略を果たし、奉天の会戦では最左翼から猛烈な攻撃を加え、ロシア軍のクロパキトン大将を潰走させた乃木希典。数々の名将、知将がいる中で、私が一番優秀な司令官と考えるのはこの大山巌である。
 大山は西郷隆盛の従弟であり、西郷から直々に読み書きや薩摩武士の精神、卑怯を最も嫌い、死を覚悟する潔さを学んでいる。しかし、その西郷は西南戦争において逆賊の汚名を着せられ敗死する。大山は苦悩するが、明治天皇の次の言葉に救われる。「私は西郷に育てられた。西郷は賊の汚名を着せられさぞ悔しかろう。私も悔しい。西郷亡き後、私はその方を西郷の身代わりと思おうぞ。」
 この言葉を頂戴したことで、大山は明治天皇のために全力を尽くすことを誓うのである。
 そして日露戦争を迎える。当時、世界に名高い強国ロシアと東亜の小国日本では万が一にも日本に勝算無しと、誰もがそう思っていた。戦線を支えるため、日本は満州に司令部を設置し、その総司令官に大山が指名される。その時も、明治天皇から直々に言葉を頂戴するのである。「当初は山縣有朋を司令官にするつもりであったが、万事に鋭く、指導の細かい山縣は敬遠される。お前の方がのんびりしていていいそうだ。」
 その言葉を受けて大山は「お上、すると大山はぼんやりしているからよいと聞こえますが」と笑いながらいう。すると明治天皇も「まあそんなところだ」と声をあげて笑われたそうである。
 明治天皇が大山を選んだ理由はそれだけではない。大山には「人望と人徳」があったのである。大山は児玉源太郎参謀に作戦を一任する。そして、彼が動きやすいようにすべてを計らうのである。ただし、それは無責任に「丸投げ」するのとは訳が違う。大山は出征にあたって「作戦は児玉をはじめ、優秀な指揮官がいるから大丈夫だ。しかし、負け戦の時には、私自身が指揮をとる」と発言している。まかせた以上は、口出ししない、しかし、結果の責任はすべて自分が負う。大山は終始この姿勢を貫いている。西郷に教えられた薩摩武士の精神を固持していたのである。
 大山は目下の者にも威張ることなく、人の揚げ足を取らず、悪口をいうこともない。海のように広い心を持ち、誰に対しても謙虚で情け深かった。正に「大将の中の大将」である。後年、子どもに大将の心得を聞かれたとき「知っとても知らんふりをすることだ」と答えている。何事にも動じず、部下を信頼して任せる、この広い器量がリーダーに必要な統率力なのである。
 それに比べて、近年のリーダー達はどうであろうか。大きい組織のリーダーはもちろん、その中の、細かい部署のリーダーにおいても、大山の1%でも「大将の器量」を持っている人はどれだけいるであろうか。自己顕示欲ばかり強く、自身の業績が目立たなくては気がすまない。部下達に過剰な負担をかけ、自身は楽をしつつ、成果は横取りしようとする。威張り散らし、恫喝するかのような大声をあげることがリーダーシップを発揮することだと考え違いをしている。等々、挙げていけばきりがない。
 リーダーであるないに関わらず、現代に生きる我々は、大山巌の精神から多くのことを学ばなくてはならない。本当にそう思うのである。


学校所在地
036-8124               青森県弘前市石川長者森61-1  東奥義塾高等学校 TEL:0172-92-4111 FAX:0172-92-4116

東奥義塾

Author:東奥義塾

AKB48の渡辺麻友の3rdシングル特典DVDに本校制服が!!

この公式ブログが「あおもりICTコンテスト2010(学校Webサイト部門)」で「最優秀賞」!!

東奥義塾個人情報保護方針→こちら

カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

03月 | 2017年04月 | 05月
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -