ToO Gijuku Topics(東奥義塾)
東奥義塾高等学校 公式ブログ

〇1443『立花道雪 炎の軍配』〇

『立花道雪 炎の軍配』
著者名:西津弘美 出版社:学陽文庫 文責 国語 坂本幸博

 以前、書評で扱った高橋紹運、立花宗茂と共に、主家である大友家を盛り立て続けた九州一の名将立花道雪の物語である。道雪は若い頃に「雷神」を切り、その時の衝撃で生涯歩行が困難になったとされる。戦には輿に乗って出陣し、その輿の周辺は屈強の兵士達が一丸となって戦った。敵に当たった際には一歩も引くことがなく、さながら「暴れ御輿」であったといわれている。また、戦が終わると、敵味方関係なく死体を集め埋葬し、懇ろに念仏を唱えていたとも伝えられている。
 道雪は常に「兵に弱いものはいない。もし弱い兵がいるとすれば、それは将がその兵を使いこなせていないのである」と発言し、兵を励まし続けたという。また部下が失敗をしたときには、進んで自らが相手に謝罪し、その部下をかばっていたという。そういう道雪なので、武将、一兵卒、どちらの側からも慕われ、尊敬を集めていた。
 道雪がいかに尊敬を集めていたか、ということを表すエピソードの最たるものは、その死の場面である。道雪は衰退の一途をたどる大友家を支えるため、73歳まで、戦に明け暮れることになる。そして、高良山の陣中で没するのである。道雪は「自分が死んで撤退するとなれば、敵が追撃し、大敗を喫することになる。我が遺体を立花に帰さず、高良山の麓に甲冑をつけて埋葬せよ」と遺言を残す。しかしながら、同じ陣中の紹運や立花城の宗茂は道雪の遺体を敵地に残すことをはばかり、遺言を破り撤退を開始する。突然の撤退に敵勢は追撃の構えを見せるが、道雪が死んだということがわかると、なんと追撃を中止するのである。
 生き馬の目を抜くような戦国時代において、撤退する敵軍を追撃しないというのは考えられないことである。どの陣営からも、一発の銃声も、一本の矢も、攻め立てようとする兵の姿もない。そればかりか敵陣からは道雪の死を悼む念仏までもが唱えられたという。
 この時の様子を島津家の文書では「立花鑑連(道雪)、高良山の営に卒す。高橋鎮種(紹運)柩を護りて筑前に帰る。秋月の兵邀撃せず。島津の軍また尾撃せず。名将の喪を悼み、その弊に乗ぜざるなり。」と述べている。この文書では蜀漢の諸葛孔明と並び立てて道雪を賞賛し、さらに敵である龍造寺隆信が本心から道雪に対して敬意を表すため、爵(盃)を贈ったということも述べられている。敵方であった島津家の記録に残っているということに注目したい。
 味方のみならず、敵方からも大いに尊敬を集めた名将の生き様を、当該図書を繙くことで感じ取ってほしい。


学校所在地
036-8124               青森県弘前市石川長者森61-1  東奥義塾高等学校 TEL:0172-92-4111 FAX:0172-92-4116

東奥義塾

Author:東奥義塾

AKB48の渡辺麻友の3rdシングル特典DVDに本校制服が!!

この公式ブログが「あおもりICTコンテスト2010(学校Webサイト部門)」で「最優秀賞」!!

東奥義塾個人情報保護方針→こちら

カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

03月 | 2017年04月 | 05月
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -