ToO Gijuku Topics(東奥義塾)
東奥義塾高等学校 公式ブログ

○1607『帰れぬ人びと』「川べりの道」○

 『帰れぬ人びと』「川べりの道」
著者名:鷺沢萌 出版社:文藝春秋 文責 地歴公民 加藤真之

 家族の中で、果たすべき役割を考えて行動している人は多いはずです。
私は特定の人に特定の役割を当てはめようとは考えていません。これを当然のようにやろうとすると、男は男らしく、女は女らしくと言った場合の「らしさ」とは何かというような、途方もなく裾野の広い議論に陥ってしまうからです。例えば家族の中で父親が父親らしい役割を果たすべきだと言った途端、父親「らしさ」とは何かといったところから議論を始める必要が生じます。私にはそんな議論を起こすつもりはないということです。もちろん、家族の中での立場そのものが、その人の果たすべき役割を規定している場合は当然あると思います。しかし私がここで取り上げたいのは、家族内での立場によらず、知らず知らずのうちに、またはそう振る舞わざるを得ないと心に決めて、誰もが自分の立ち位置を決めているのではないかということです。
 私は中学生の頃、誰にそう言われたわけでもなく、家族をつなぎ止める役割を果たさなければならないと感じていたことがあります。その頃、家族は空間的な意味でばらばらな状態でした。拠点となる自宅には、祖母と母と、そして中学生だった私とが住んでいました。父はA県に単身赴任、兄は自宅と同じ県内ではあるものの仕事のために離れたところに住んでおり、姉は都内に大学生として一人暮らしをしていました。家族が空間的に4つに分かれていたのです。空間的に離れていれば、当然過ごす時間も一緒ではありません。お互いに連絡を取り合っていても、相手の様子が見えない分、互いに何かしら心配事を抱えているような状態でした。嫁と姑が残された自宅では、言葉や行動のちょっとした行き違いが、常に小さなトラブルを引き起こしていました。今考えると、それはどの家庭にも起こりうるレベルのものでした。我が家だけが特別に嫁と姑の仲が悪かったというのではありません。他人同士が同じ屋根の下に住んでいる以上、どうしようもないレベルのものだったように思います。しかし、いわゆる思春期を迎えていた私にとっては、この当たり前のレベルの諍いこそ、心を乱す元凶だったのです。私としてはどちらの味方をすることもできません。双方の話を聞くだけならば私にもできると割り切って、当初は聞き役に徹していました。しかし、私の心の風船が淀んだ空気でいっぱいになるのは時間の問題でした。私の心にわだかまったストレスを父に話して解消しようにも、父は近くにいません。それに、離れた土地で家族のために働く父をわずらわせるようなことを、わざわざ電話で話したくなどありません。兄や姉についても同じです。私は問題を一人で抱えるしかありませんでした。それが家族の中で私が自身に課した役割であり立ち位置だったのです。
 「川べりの道」の主人公の吾郎は15歳。中学3年生にあたる年齢です。父親は同じでも母親が異なる姉と2人で暮らしているのは、父親が家族を捨てて家を出たためと、母親が交通事故で亡くなったためです。吾郎は月に一度、父親と女性が住む家に通わなければなりません。理由は父親から生活費を受け取るためです。「川べりの道」という題名は、月に一度この目的のために歩かなければならない、父親の住む家に続く道を指しています。その道を歩くときの心情の一部が、次のように著されています。「不思議に思うのは、あの川べりの長い道を歩いている間は、早く父に会いたくて、というより早くこの家に着きたくて仕方がないというふうなのに、この家に着いた途端、早く帰りたいという気持ちでいっぱいになってしまうことである」。この揺れ動く感情は、まだ自分の心のありかが定まっていない思春期の特性をうまくとらえているように私には思えます。そしてこのような感情の揺らめきは、生活費を受け取る役割を遂行しなければならないという思いと、本当はこんな役割など果たしたくはないという感情が、相反するところから生じているのです。それでも吾郎は、自分に与えられた役割を果たし続けます。しかし、ついにある暴挙に出るのです。それは社会的に言えばごく小さな行動かもしれません。しかし吾郎にとっては、自分の感情に一定の区切りをつけるための限りなく大きな一歩となったように思います。
 私がこの作品を初めて読んだのはいつだったか、今となってははっきりと思い出すことができません。おそらく二十歳を過ぎたころだと推測してみるのですが、その頃から何度この作品を読み返してみても、感じることは同じです。15歳の主人公と自分の15歳の頃の姿を重ね合わせて読んでしまうのです。他の作品では読み返すたびに新しい何かを発見することができるのと同じように、「川べりの道」は読むたびに15歳の頃の自分に会わせてくれるのです。この物語は私にとって15歳の頃の自分に会いに行く、まさにタイムマシンのような存在なのです。そして、過去の自分に対してこう思います。よく頑張ったねと。あれほど嫌だった役割を我慢しながらも受け入れ続けたからこそ、家族を支える柱のほんの一部でも担うことができたのだと。そんなふうに過去の自分を肯定的にとらえることができるのです。最近実家の洗面所の壁が張りかえられ、当時の私がストレスのあまり拳を打ちつけたことで開けた穴がなくなりまし
た。この行為そのものは、吾郎が行った暴挙のようなものです。恥ずかしい過去の行いが見えなくなったことに、ほっとすることしきりです。こんなふうに私の過去に、最大限の共感を持って寄りそってくれる物語は他にありません。そして「川べりの道」の短い作品世界の中にこれほど巧みな描写で少年の内面を切り取ることができる作者の筆力を嬉しく思いました。この作品に触れてからというもの、鷺沢萌の作品は思いつく限りすべて読みました。惜しむらくは、彼女の新作には二度と出会えないことです。2004年、彼女は亡くなってしまいました。しかし遺された作品は、私の中では今も色あせることがありません。これからも何度も読み返すことになるでしょう。
最新記事
学校所在地
036-8124               青森県弘前市石川長者森61-1  東奥義塾高等学校 TEL:0172-92-4111 FAX:0172-92-4116

東奥義塾

Author:東奥義塾

AKB48の渡辺麻友の3rdシングル特典DVDに本校制服が!!

この公式ブログが「あおもりICTコンテスト2010(学校Webサイト部門)」で「最優秀賞」!!

東奥義塾個人情報保護方針→こちら

カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

09月 | 2017年10月 | 11月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -