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○1634『赤毛のアン』○

 『赤毛のアン』
著者名:モンゴメリ 翻訳者:村岡花子
出版社:新潮社 文責 地歴公民 加藤真之

 ここ数日間、私は津軽地区の中学校を訪ねる仕事に、多くの時間を割いていました。地図上でその日に訪ねた中学校を結びつけていくと、大小様々な図形を描くことができます。その移動距離が最も長かった日には、自動車の走行距離が360キロメートルを数えました。それは、弘前から小泊まで一旦北上し、車力を経由して日本海沿いを岩崎まで南下する経路です。最後の目的地である岩崎での仕事を終えた後、弘前に戻る道すがら、私は海に面した道の駐車帯に車を停めました。運転席のドアを開けると、ごうとうなる風に吹きつけられ、ドアがもって行かれそうになりました。その日、海岸線に吹きつける風はとても強く、岩に砕けた波の飛沫で車から降りた私の体を濡らすほどでした。そんな風の中を、私は小さな灯台を目指して歩き出しました。海に突き出した白いコンクリートの上を歩いている間中、風は私の体にまとわり続けました。髪は乱れパンツやシャツの生地がばさばさと音をたてましたが、私は歩き続けました。そしてようやく灯台にたどり着きました。灯台を回り、コンクリートの突端に立ちました。海から吹きつける風が、容赦なく私の体を打ち続けます。私はその場に座りました。荒く波打つ海が、きらきらと太陽の光をはらんでいます。しばらくそうしてから、今度は海の方に足を投げ出したまま、体をコンクリートの上に横たえました。 目の前の青空にはいくつもの白い雲が浮かんでいます。強い風をうけ、まるで競走でもしているかのように我先にと流れゆく雲は、どこか作り物めいた面白さをたたえています。私は目をつむりました。その刹那、私の体になかに、ある言葉が湧き上がりました。それは「自由」です。
 「自由」という言葉はとてもシンプルなものだと思われるかもしれません。しかしその定義は、実は大変難しいものだと私は感じています。封建制度の崩壊によって人々が置かれた新たな立場を表すために、時代の要請によって作られた言葉だとする考えもあるようです。しかし、私がこのときに感じたのは「自由」という言葉以前の、もっと漠然とした感覚のようなものです。この理由から、ここではあえて「自由」という言葉の定義には縛られないものとします。それこそ感覚的な意味において、今こそ自分は「自由」なのだと、このときの私がそう感じただけのことです。ただ、「自由」という言葉が頭に浮かんだ経緯について思い当たることがひとつだけあります。それは、物質的な意味において何物にも縛られていない自分を感じていたことです。それは言葉を変えるなら、物質的な豊かさからの解放と言えるものだと思います。このときの私は、何も持つ必要はありませんでした。仕事上、今では必要不可欠になってしまったコンピューターをこのときの私がもっていたとしたらどうでしょうか。少しでも仕事を終わらせようと躍起になっていたかもしれません。また、この小さな機械の性質上、おそらく潮風に吹かれる場所に持ってきたことを後悔し、それが潮風の難から逃れるために腐心したに違いありません。携帯電話やスマートフォンをもっていても同じことです。私がこの場面で「自由」を感じることができるためには、心を悩ませる何物ももっていないことが条件だったのです。
 物質的な面で恵まれた環境になくても、人は自分の力で幸せを見つけ、あるいは作り出すことができます。かつてそう私に教えてくれたのが、『赤毛のアン』です。アンは両親と死に別れ、孤児院で暮らしていた女の子です。当然、物質面で豊かなはずはありません。望まない服を着せられ、与えられた役割を何とかこなしていかなければならない境遇にあります。しかしアンは想像力を駆使し、恵まれない環境を豊かなものに切り替える力をもっていた、またはもとうと努力し続けてきた結果身につけることができていたのです。アンは自分が心奪われた風景や、話し相手になってくれそうな植物に名前をつけました。孤児院ではそうすることで孤独を紛らわせることができるようになるのはもちろんのこと、日常の生活をより感情豊かに過ごすことができたはずです。物が不足した、一見豊かではないように見える環境が当たり前だったからこそ、アンは想像力に磨きをかけ続けることができたのではないか。私にはそう思えてなりません。やがてアンはマシューとマリラのもとに引き取られますが、そこでも物質的な面で贅沢ができたわけではありません。マリラの信念のために、当時流行していたデザインの服を着ることは許されず、清潔で作りは確かですが悲しくなるほど地味な服を着させられます。それでもアンが不満に囚われないのは、孤独という最悪の事態から救い出してくれた二人の恩人と暮らしていたからなのだと思います。マシューとマリラは不器用ながらも、二人なりの愛情をもってアンの成長に関わり続けます。その事実が何物にもまして幸せなことなのだと、アンは知っているのです。
 よく言われることですが、今の世の中には物があふれています。それほどお金に余裕がないとしても、わずかなお金で手に入るもので間に合わせることができます。利便性を追求した通信機器を誰もがもち歩くことができるようになりました。このことにより、いつでも誰かと「自由」に連絡を取り合うことができる環境が必要であり、便利なのだと信じるようになりました。それがいつしか連絡を取らなければならないという不必要な義務感に囚われるきっかけになってしまっていることは珍しくありません。「自由」を保障してくれていたはずのものに、「自由」を奪われている現実があるのです。小さな灯台の下で私が「自由」を感じたのは、まさに自分がそんなものに囚われていないと思えた瞬間だったのかもしれません。ありとあらゆるものが簡単に手に入るようになった現在の環境を逆行させることは、まず不可能です。しかしそんな環境のもとに身を置いてこそ、物に囚われない「自由」を享受することを忘れてはならないと思うのです。それと同時に、人と直接関わることの大切さを覚えていてください。アンがマリラにうるさがられながらも、自分自身のことや想像した事柄を話し続けたことで救われていったように。アンのおしゃべりが、人とのコミュニケーションを苦手とするマシューの心を開かせたように。
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