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○1640『敦煌』その1○

 『敦煌』その1
著者名:井上靖 出版社:新潮社 文責:地歴公民 加藤真之

 あなたは自分の生き方に、決定的な方向性を与えるような本に出会ったことがありますか。私は大学で東洋史を専攻しました。そのことを決心する契機のひとつとなったのが、井上靖の『敦煌』です。この本について紹介文を書こうと思い立って本棚を探したところ、数年前に自分が書いた文書を載せた小冊子を見つけました。三学年主任として卒業生に宛てたものです。改めて読み返してみると、『敦煌』を読んで心を動かされ、大陸に夢を馳せた少年の日の自分の姿が、息苦しくも目の前に立ち上がって来るように思えます。今回はこの全文をご紹介します。

卒業する君たちへ     3学年主任  加藤 真之
 タクラマカン砂漠の中国側の入り口に、敦煌という町がある。その町の郊外に、半ば砂に埋もれた状態で発見された、莫高窟という仏教遺跡がある。私がそこを訪ねてみたいという長年の夢を実現することができたのは1990年、21歳のときだった。
 敦煌での数日間の滞在の間、私は一つの夢をかなえたことに対する興奮と安堵に包まれていた。そろそろ帰りの準備をしなければならなくなったころ、北京行きの列車の切符を買いに、バスで4時間ほどかかる蘭州という町に向かった。そこで片言の中国語と筆談を用いてようやく切符を購入し、翌日、かなりの時間的余裕をもって駅に着いた。だが、いくら待っても北京行きの列車は来なかった。不思議に思って駅員に尋ねると、私が購入した切符を見た駅員は、気の毒そうに顔を歪めた。その切符に記された行き先は北京とは全く逆方向、さらに砂漠を深めるウイグル自治区の首都、ウルムチ行きのものだった。しかも、その列車はもうすでに出発してしまったと言う。私の伝え方がよくなかったのか、切符売りが早合点したのか、いずれにしても切符を買ったところまで時間を戻せるわけではない。残されたのは北京には行けないという現実と、役に立たない切符だけだった。貧乏旅行だ。もう一度切符を買い直す金銭的な余裕はない。上海から成田まで飛ぶ飛行機のチケットを既に持っていたことがせめてもの救いだが、北京までは列車で2泊3日かかる。翌日には北京に向けて出発しないと、成田行きの飛行機に間に合わなくなる。金銭面だけでなく時間的な面でも行き詰った。私は目の前が暗くなるのを感じた。共産主義下、当時の中国は何よりもシステムが優先される傾向にあった。決まり事を飛び越えて対処してくれる可能性は低い。購入した切符が効力を失った今、払い戻しも買い替えも望めない。それでも切符を買い直せるように駅員に交渉を続けたが、どうにもならなかった。
 私は途方に暮れ、これからどうすればいいのかも分からず、呆然と駅の待合室に座り込んだ。どのくらいそうしていただろうか、いつの間にか陽が暮れかけていた。ふと気が付くと、一人の老人が私の前に立っていた。恐らく掃除夫なのだろう。手には箒を持っている。不思議に思って体を起こすと、老人は口を開いた。私は自分の耳を疑った。老人が口にしたのは、紛れもなく日本語だったからだ。何か困っていますか。そんなふうに話しかけられたのだと思う。私は夢中になって窮状を訴えた。一通り私の話を聞いた後、老人は言った。それなら駅長に話してみよう。何とかできるかもしれない。私はすがるような思いで、間違って購入した切符を老人に預けた。そして歩き去る彼の後ろ姿に、事がうまく運ぶようにと祈った。しばらくして、老人が待合室に戻って来た。そして、翌日の北京行きの切符を私に手渡した。あとで気がついたことだが、切符を買い直すためには差額が必要なはずだった。しかし、そのことについて老人は何も言わなかった。私に金銭的な余裕がないことを知っていたのだ。「謝謝」。感謝を表す中国語が自然と口をついて出た。私は助かったと思った。体が震えるような安堵に包まれていた。
感謝の言葉を口にする私の様子を見て、老人は初めて表情らしい表情を見せた。口元だけだが、老人は確かに笑みをたたえていた。私は安心して、どちらで日本語を学んだのかと老人に訊ねた。老人はもう一度表情を引き締め、そして言った。「私は日本人は嫌いだ。日本人は私たちの言葉を奪い、自分たちの言葉を押しつけた。私の日本語は、覚えたくて覚えたものではない。無理矢理に覚えさせられたものだ。でも、あなたに恨みがあるわけではない」日常的に日本語を使っているわけではないのだろう。老人の言葉はたどたどしかったが、私の胸に強い力をもって突き刺さった。
老人の短い言葉からは、様々な意味を読みとることができるだろう。日本人として、戦争という過去の「負の遺産」を、忘れてはならないという教訓が込められていると言えるかもしれない。しかし、そのとき私が胸に刺さったと感じたのは、歴史や社会といった硬質なものよりも、もっと人間的なものだったように思う。なぜならごく感覚的なものかもしれないが、私の胸に遺されたものが痛みではなく、温かさをともなうものだったからだ。私は老人の言葉に戒めを受けたのではない。時間や空間を飛び越えた、人としての優しさを授かったのだと思っている。老人は遠い昔、日本人からある種の暴力を受けた。それにもかかわらず、私には優しさをもって窮地から救ってくれた。私の胸に遺されたのは、まさにこの優しさだったのだと今は確信している。老人が私にしてくれたように、私はこの優しさを自分自身のために使うのではなく、誰かほかの人、あの時、砂漠の駅で途方に暮れていた自分のように、あてどのない不安に震えている人のために使うべきものなのだと思っている。老人は自分がかつて受けた暴力を優しさで返してくれた。人から受けた優しさを、優しさという形のまま人に伝えることは、暴力で始まった老人の場合よりもはるかに簡単だ。
卒業する君たちへ。混迷の社会に旅立とうとする君たちには、今後様々な困難が押し寄せることだろう。もし君が困難に直面している人の存在に気がついたら、それとなく手を差し伸べてあげてほしい。その人は君に感謝するだけでなく、同じように誰かを助けてあげたいと思うようになってくれるかもしれない。一方で、君たち自身が直面した困難が、君たちを立っていられないほどに打ちのめすことがあるかもしれない。しかしそんな時にこそ、他者に対する思いやりを忘れないでいてもらいたい。君が困難に直面しながらも他者への思いやりを忘れない人間であれば、困難を乗り越えるために必要な力を、周囲の人が少しずつ分け与えてくれるだろう。優しさを誰かに伝えるすべを知らなかった私でさえ、見知らぬ老人の優しさに救われたのだから、君たちが発揮した優しさが、君たち自身に返って来ないはずはない。いつかどこかで誰かのために使った優しさは、まわりまわって君のもとに返って来るはずだ。そんなふうに誰かの優しさが人間と人間との間を行き来することを、馬鹿みたいに信じて生きていくことができる人間でありたいと私は思っている。そしてこれからは、かつて中国で出会ったあの老人のように、暴力や憎しみさえ優しさで返すことができる、そんな人間になりたいと思っている。そしてこれから義塾を巣立っていく君たちにも、そんな人間を目指す存在であってほしいと、心から願っている。
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