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東奥義塾高等学校 公式ブログ

○1791『アンの青春』○

『アンの青春』
著者名:モンゴメリ 翻訳者:村岡花子
出版社:新潮社 文責 地歴公民 加藤真之

 『赤毛のアン』については、この「本の紹介」のページで以前取り上げたことがあります。今回紹介する『アンの青春』は、『赤毛のアン』の続編です。私は1979年1月7日からフジテレビ系列で放送が開始されたアニメ『赤毛のアン』が大好きで、そこからこの物語の存在を知り、村岡花子さんの翻訳による文庫を手に入れました。今でも時折この文庫版を手にとっては、物語のどの部分かを問わず思いついたままに読みふける始末です。特に好きな件(くだり)もあるのですが、物語全体にみなぎる主人公の豊かな感性や想像力に触れること自体が好きなため、偶然開いたページからしばらくの間読み進めるといった読み方でも、十分に楽しむことが出来るのです。便利な世の中になったもので、以前はテレビで再放送されない限りはアニメを見ることは出来ませんでしたが、今ではDVDで見ることが出来ます。これまでに何度レンタルしては繰り返し鑑賞したでしょうか。また、どれだけ文庫を開いてきたでしょうか。それこそ数えきれない程だと思っています。なぜここまでこの物語に惹かれるのか、自分なりに考えてみました。その結果、この物語に触れている間、自分がいかに癒されているかに気付かされたのです。
 主人公であるアンの感性は、人であったり、物であったり、自然であったり、あらゆるものを対象に花開きます。特にその自然に対する感性の豊かさに、私は共感を覚えるのです。カナダ、プリンスエドワード島を舞台にしたこの物語には、森や林、海や川、沼や池といった自然が豊かに描かれています。その自然の描かれ方が実に伸びやかなのです。私が幼かった頃、父は何度か転勤しました。一緒に引っ越す私自身の生活環境は、そのたびに大きな変更を余儀なくされました。都心にも地方にも住んだことがある私は、知らず知らずのうちに最も落ち着くことが出来る場所を探して生活していたように思います。今にして思えば、自然豊かな地方での生活の方が、私の感性に合っていたように思います。アンは孤児院での生活をはじめ、不遇な時代を生きた後にグリーンゲイブルズのマシューとマリラのもとにやって来ました。四季を反映した、輝くばかりの生命力にあふれた自然が人間の生活を優しく包み込んでくれる環境に身を置くことになるのです。もともと感性が豊かなアンの想像力が刺激されないはずはありません。アンはそれこそ実に伸び伸びと、自分らしさを発揮することが出来るようになっていくのです。私が何度目かの引っ越しによって地方に移り住んだのも、アンがグリーンゲイブルズにやって来たのと同じ年齢です。新しく住むことになった地域は自然が豊かで、毎日泥だらけになって遊んだものです。そんな思い出の中の光景が、『赤毛のアン』の物語の世界と重なるのでしょう。つまり、共感こそが私が『赤毛のアン』の中に見出す安堵なのです。
 この共感と安堵が壊されてしまうような気がして、アンが成長した後の物語を私は長い間読めずにいました。小説や映画にありがちなことだと思いますが、最初の作品の余勢をかって出された2作目にがっかりさせられたという経験を、皆さんはお持ちではないでしょうか。私には何度もそんな経験があります。1作目の世界観が2作目以降で失われてしまうことほど残念なことはありません。この感覚を、『赤毛のアン』では味わいたくなかったのです。『赤毛のアン』を皮切りに、村岡花子さんの訳による新潮社の文庫版には、全10冊の【赤毛のアン・シリーズ】があります。このうちの2冊目が、今回紹介する『アンの青春』です。長い間読むことを避けてきたこの本にいよいよ手を出したのには、自分でも拍子抜けするほど、実は大きな理由はありません。ただ「時が来た」というような、ごく自然な流れだとしか説明ができません。ごく自然に書店で『アンの青春』を手に取り、数行を読んでみた後、そのままレジに持って行っていた、ただそれだけなのです。しかし実際に物語を読んでみて、この「時が来た」という感覚が身に沁みて分かりました。今だからこそ、最初の物語の世界観を傷つけることなく2作目である『アンの青春』を読むことが出来たのだと実感しています。特にアンとマリラが引き取ることになった双生児のうち、デイビーが巻き起こす一連の騒動について、この思いを強く抱きました。これまで人に愛情をもって教えられ、育てられてこなかったデイビーだからこそ起こしてしまう事件の数々に対して、以前の私であればただ苛立つばかりだったでしょう。さらにデイビーの悪戯や失敗に対するアンの対処法にも、苛立ちを募らせるばかりだったと思います。それが今は違うのです。双生児の兄妹、やんちゃな男の子のデイビーと物静かな女の子であるドーラのうち、アンとマリラはそろってデイビーの方に愛情を傾けていきます。手がかかる子ほど可愛いという、世間でよく言われる情景が描かれます。このことについてもこれまで幾度か同じような経験をしてきたからでしょうか、今の私にはそういうものだろうと頷くことが出来るのです。その一方で、実はドーラのような子ほど目をかけ手をかけ、愛情を注いであげなければならないのだと、自分なりの解釈も交えながら楽しんで読み進んでいけるのです。自分自身の変化のタイミングが、この物語と出会えた機会とちょうど一致していたことを感じずにはいられません。
 物語を書く上での技術として、「神の視点」と呼ばれる語り口を用いる方法があります。それは「私」という一人称や「彼」などという三人称で描かれるような方法ではなく、天上から地上のすべてを見るような、物語を見渡す万能の視点を指します。『赤毛のアン』はこの「神の視点」で物語を進行しながらも、章によって「神の視点」が仲介する人物を使い分けることによって、様々な人物の様々な感性が響き合って物語を構成する手法をとっています。アンの目を仲介して物語が描かれる場合には、豊かな創造力や感性を余すことなく語りつくすような勢いを感じることが出来ました。マリラの目を仲介して描かれる場合には、これまでに築いてきた自分の価値観が裏切られる驚きと、小さき者に接することで初めて生まれた愛情への戸惑いが描かれ、実に人間らしい感情の変化に心がほっこりと温められたものです。『アンの青春』からはこの様な視点が削ぎ落とされ、第三者的な「神の視点」が多用されます。『赤毛のアン』を偏愛して止まなかった以前の私であれば、この変化に寂しさを覚えたことでしょう。明るくほとばしるようなアンの感性を感じることこそが、この物語を読む価値の一つだったからです。ところがこの点についても、今の私には面白く思えるのです。『赤毛のアン』で十二分にアンの心の移ろいを楽しませてもらっているからでしょうか。第三者的な「神の視点」が多用されていることで、『アンの青春』はかえって落ち着いて読み進めることが出来るように思えるのです。少年の頃にさんざん感情移入して読んだ物語の世界を、こんなふうに客観的に眺めることもできるようになるとは思ってもみませんでした。これからはこんなふうに、アンの人生そのものを暖かな目で見守っていけるのだと思います。シリーズ10作品の内、まだまだ2作目を読み終えたばかりです。今後の展開が楽しみな続編についても、また紹介していきますね。
 
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