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○1868『恋愛会話』○

 『恋愛会話』
著者名:鎌田敏夫 出版社:新潮社 文責 地歴公民 加藤真之

 個々人の性格にもよることですが、口にするのがとても気恥ずかしい言葉があります。それゆえに滅多に口にするようなものではなく、口にする必要に迫られようものならよほどの覚悟が必要とされます。このような種類の言葉は、主に恋愛に関するものに集約されるように思います。「胸が張り裂けそうな想い」と言えば、抱え続けるのが困難なほどに大きく膨れ上がった恋愛感情が想像されます。なぜ苦しくなるまで抱え続けてしまうのかと言えば、その想いを言葉として相手にぶつけた瞬間を境に、天と地ほどの差にその結果が二分されるからです。恋愛感情の告白は、そのことによって相手との関係が新たな前進を遂げるか、あるいは立ち直るのが不可能なほどに打ちのめされ、これまで良好だった相手との関係を壊しかねないリスクをはらんでいます。だからこそ生半可な気持ちで口にすることはできませんし、一度口にしたら取り返すことができない、言葉というものの残酷さを思い知らされることにもなるのです。
 『恋愛会話』には、これはなかなか口にするのは難しいなと思わせられるような台詞が数多く登場します。何せ恋愛会話なわけですから、相手との関係が劇的に変化するリスクを覚悟して口にするわけです。しかしそこは脚本家として数多くのドラマ作品を手がけた著者の成せる技。意を決して口にした言葉が相手にうまくかわされたりはぐらかされたり、あるいは展開の良し悪しを含め、予想以上の影響を及ぼしたり、それこそ発した言葉の先に、感情の機微に富んだ結果が待ち受けています。会話のみで構成された短編は、「出逢い」「恋と愛」「結婚」「男について」「女について」「幸福」の六つのシーンに分かれています。そのなかの「恋と愛」の冒頭には次のように著者の考えが書かれています。「英語で、愛はLOVEである。恋もLOVEである。日本語のように、恋と愛を分けるような繊細な表現は、英語にはない。(中略)恋は、情熱的で執着が強い。愛は、もっと穏やかで大きなものだ。恋愛という言葉は、その二つを結びつけたものだから、すごいと思う。こんなゴージャスな言葉はない。恋愛という文字に、人が魅(ひ)きつけられるのは、言葉そのものが、もともと、とても贅沢なものだからだ。しかし、現実は、言葉のようにはいかない。情熱的で穏やかで、執着が強くて大きなものなんて、現実にはない」。そんな前提に立ちながら描かれた短い物語は、その短さも手伝ってか、小気味よく、どこか懐かしい雰囲気をもっています。この懐かしさはどこから来るのでしょうか。私は二つの理由に思い至ります。
 ひとつは、スマートフォンに代表されるようなデジタルツールが登場しないことに理由があります。私の手元にあるのは、1996(平成8)年に出版された文庫本です。携帯電話が普及していたにしろ、現在ほど広く深く人々の生活に関わっていたわけではありません。物語を構成するツールにデジタルなものが描かれていない点が、私のなかに懐かしさを感じさせているのだと思います。もうひとつは、登場人物たちのやりとりにかつての自分の姿が重なることに理由があります。これにはひとつ目の理由も密接に関わってくるのですが、かつて相手と面と向かって話をするか、少なくとも電話で直接的に言葉を交わすことでしかお互いの感情をやりとりすることができなかった時代の、痛々しくも一生懸命だった頃の自分の姿が思い出されるのです。例えば、夜に離れた場所にいる相手と話がしたいと思ったとします。よほど距離が近い場合でなければ、直接会いに行くことはできません。使うことができるツールは固定電話のみです。固定電話を使って、目的の相手と話ができるまでの緊張感を思い出すと、胸が締め付けられるように痛みます。まず、相手のお父さんが出たらどうしようかと思うわけです。「こんな夜中に(まだ夜の8時くらいであっても)電話してくるなんて非常識な!」などと叱られるのではないかという恐れに始まり、取り次いでもらえたとしても上手く話せるだろうかという心配が常についてまわるのです。初めて電話する相手にはなおのことです。受話器の先に何が起こるか分からないスリルは、今や過去の遺物と化してしまいましたが、あの胸が張り裂けそうな緊張感は、今でも苦笑をともなって、私の胸を温めてくれます。
 文庫版『恋愛会話』に「解説」を寄せているコラムニストの山田美保子は、「自分の全てを伝えたくて、相手の全てを知りたくて、話しても話しても、話が尽きない。深夜、何時間、電話をしていたとしても、翌日のデートでは、また違う話をしている。こんな二人は間違いなく恋愛中であるし、これが恋人たちの正しい姿であるとも思う」と書いています。私はまさにこの考えに賛成です。若い男女の二人連れであっても、お互いに相手を見ていない光景を目にすることがあります。体さえ向き合っていない場合もあります。それでは何を見ているのかと思えば、お互いにスマートフォンの画面を見ているのです。そんな光景を目の当たりにして、二人で時間を過ごしている意味があるのかな、などと思ってしまうのは私だけでしょうか。見るべき相手は目の前にいます。相手を見ていれば、自然と聞きたいことも出てくるものです。初めからそんなに気のきいたことを口にしようとしなくても、ささやかな質問をしてみればいいのです。喫茶店であれば、「いつも紅茶? 俺はコーヒー。最近ようやくおいしいって思えるようになってさ」なんていうレベルでいいのです。どんな言葉からでも、会話の糸口を見つけることはできます。そこから相手をもっと知りたい、自分のことも分かってもらいたいと思えてくるものです。『恋愛会話』は誰かと話をすることの面白さを私に思い出させてくれました。ちょっとだけ艶っぽい気持ちにさせてくれる30の物語を詰め込んだ、宝箱のような本です。穏やかな日曜日の午後に読むことをお薦めしたい、そんな一冊です。
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