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○1936『ナショナルジオグラフィックが見た 日本の100年』○

 『ナショナルジオグラフィックが見た 日本の100年』
著者名:ナショナルジオグラフィック(編)
出版社:日経ナショナルジオグラフィック社
文責 美術 木村顕彦


 「本書は、米ナショナルジオグラフィック協会が発行する『ナショナルジオグラフィック』誌に掲載された日本の特集すべてを集大成したものである。」そんな解説文から本書は始まる。
 本書タイトルにある「日本の100年」というのは決して大げさではない。
 ナショナルジオグラフィック記者による写真と文章が、日本の100年を伝える。
 最初の方のページには「1896年9月号」、明治三陸大津波についての写真と文章。
 巻末には「2012年2月号」、東日本大震災における津波の写真と、それに関する文章。二つの津波が、日本の100年を象徴するとは、なんとも残酷だ。
 掲載写真を眺めているだけでも十分だが、文章を読むとさらに面白い。なぜなら、海外の記者が日本についてどう捉えていたかがつぶさにわかるからだ。
 例えば次のような箇所がある。
 「(略)中国と日本はほとんど双子のようなものとして受け止めてしまう。しかし、理解を深めれば、両者の違いは明らかだ。古い歴史をもつ中国は、道徳を重んじ、文学などもすべて『国民のために、なすべきことは何か』が主題になっている。(改行)一方、中国に比べて若い国日本では、人々は美しさを重んじる。」(1933年3月号より)
 そうか。日本人は美しさを重んじるのか。そりゃあ首相も「美しい国」とかなんとか言うわけだ。・・・と、皮肉は別として、美術教師としてはうれしく思う。
 また、1942年8月号、つまり第二次大戦中に書かれた、次のような箇所も見逃せない。
 「日本人の強みの一つは、人命軽視だ。日本人は国のために死ぬことに価値を見いだす。」
 ここまで書いて、不思議なことに気付く。
 1933年時点では、「国民のために、なすべきことは何か」という中国人に対して、日本人は美を重んじていた。
 だが1942年時点の日本人は「国のために」ということを重んじていた。・・・では、美を重んじていた日本人はどこに行ったのだろう?・・・極めて言い難いことだが、当時の日本人は「国のために死ぬ」ことに「美しさ」を見いだしていたのだろう。
 その他、「1921~1941年」に「ナショナルジオグラフィック協会に勤務」し、「数々のカラーイラストを手がけた」とある「日本人のムラヤマハシメ(1879-1954)」という画家の存在や、1934年当時の女性の教職員には「40歳で退職しなければならないという制度」があったことなど、私にとっては初めて知ることばかり。戦後についての記載も、もちろん充実の一冊だ。
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036-8124               青森県弘前市石川長者森61-1  東奥義塾高等学校 TEL:0172-92-4111 FAX:0172-92-4116

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