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○2097『あおい』○

『あおい』
著者名:西加奈子 出版社:小学館 文責:地歴公民 加藤真之

 毎日の生活を振り返れば、既知の間柄にある方とも、あるいは初対面の方とも、何らかのコミュニケーションを取りながら過ごしています。既知の間柄であれば挨拶を交わすことはもちろんですが、他愛のない会話やもっと深い話をすることがあるかもしれません。そこには個人差や相手との関係性の違いによって、様々な濃淡が発生します。また、ただ道ですれ違った人やたまたま電車で隣合って座った初対面の方々とも、何らかのコミュニケーションをとっていることがあるはずです。どちらか一方が相手に対して何らかの行動を起こしたものの、相手が気がつかないで終わってしまうような場合は、ここでいうコミュニケーションからは除外します。あくまでも双方向にやり取りがあった場合をコミュニケーションと名付けるなら、互いの視線が交わる場合が最も軽微なコミュニケーションと呼べるのではないでしょうか。認識の違いは様々にあることでしょうが、視線の交わりをコミュニケーションの一つと数えるところから、話を展開させていただきます。
 それにしても、視線はどうして相手に気付かれてしまうのでしょうか。何となく見ていたら、相手がふと顔を上げて視線が交わった。あるいはその逆に、相手の視線に気がついて顔を上げたら、一瞬見つめ合ってしまった。誰にでもこんな経験があることと思います。一旦視線が交われば、そこには必然的にコミュニケーションが生まれます。視線が交わったことを確認した瞬間、一方が、あるいは両者が、視線をそらすのが一般的です。ここで相手を凝視してしまっては、すぐに「変な人」だと認識されてしまいますから。しかし視線はそらしたものの、そこには何らかの思いが生まれるはずです。それこそ「変な人」だと思われていないだろうかなどという、自分に対する心配もあるでしょう。また、「目の綺麗な人だな」など、相手に対する思いが生じることもあるでしょう。たとえ言葉を交わすことがなくても、相手に対して何らかの思いが生じれば、それはもう立派なコミュニケーションです。自分が何かを思ったということは、多かれ少なかれ相手も自分に対して何らかの思いを持つことが考えられるからです。
 相手に何らかの思いを抱き、それが双方向に行き交うことをコミュニケーションと呼ぶのなら、たとえ言葉が交わされなくてもコミュニケーションは成り立つことになります。主人公である「あたし」の視点から描かれた『あおい』には、そんなコミュニケーションがあふれています。相手との関係性の中に、互いが相手に対して何らかの思いを抱き合い、交わす言葉や接する態度を少しずつ変化させていく。そんなことを日々繰り返すなか、その一つひとつを書き留めていたらある種の小説の体裁が整った。『あおい』にはそんな日常の空気感があります。しかし、日常をただ書き連ねただけで小説が完成するのであれば、作品は日記の域を出ませんし、小説家などという職業も存在しないものとなってしまうでしょう。小説には、作品ごとに作家による工夫が施され、その工夫の面白さがほかの作品や作者とは違っているから、人々に読まれるようになるのです。『あおい』には前半の「日常」的な流れを変える仕掛けがきちんと準備されています。
 『あおい』に描かれた主人公とその他の登場人物とのやりとりは、とてもおおらかなものです。悪く言えば気怠いのですが、登場人物たちの唐突な台詞やそのおかしみが、体言止めの多用による簡潔な印象と入り混じり、読み手を飽きさせない力をもっています。しかし、そのまま終盤に至るまでだらだらとした雰囲気が続けば、読み手はかえってその力に飽きてしまうところです。そこで物語の途中から、これまで軽い言動を繰り返してきたかのように見える主人公の重苦しい過去が明らかにされていきます。ここから主人公が俄然人間らしく変化していきます。前半で描かれた主人公のゆるい人間性が、実は重苦しい過去の経験に裏付けられていることを知り、私は主人公の魅力にひき込まれていきました。一般的な小説で作者が狙うのが、主人公をはじめとした登場人物たちに対する読者の「共感」だとすれば、この作品はそのような「共感」からは程遠いもののように感じられます。その代わりにこの物語を引き立てているのが、文章表現の「素直」さであると私は思っています。作品における表現の素直さは、そのまま登場人物の内面にも浸透していきます。素直であるがゆえに他者とのコミュニケーションがうまく取れない。この物語には実際のところそのような場面は存在しないのですが、仮に主人公が初対面の相手と目が合ってしまったら、すぐに視線をそらし、それ以上のコミュニケーションが発生することを強く拒むことでしょう。それはとりもなおさず、他者とのコミュニケーションをとるために、上手に自分を変化させることが出来ないというもどかしさを意味するように思えるのです。このもどかしさこそが、『あおい』の魅力なのだと私は思います。このもどかしさゆえに、主人公をはじめとした登場人物たちをつい応援したくなってしまうのです。その応援はきっと功を奏しますよ。なんだかとてもすっきりとした、気持ちのいいラストシーンに出会えるのですから。
 
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