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○0317『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』

『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』
著者名:堺屋太一 出版社:文藝春秋 文責 かなめ

 はじめ農民であった豊臣秀吉の弟、秀長が果たした功績は非常に大きく、握った権限は著しく強かった。しかし、歴史の書物にはなかなか出てこない。これは兄、豊臣秀吉を天下人として上り詰めるための補佐を一生をかけて行った結果である。この頃は、兄弟で家督争いや武功争いは当たり前の時代、兄の出世だけを考え、尽くしてきたため表だった資料がほとんど存在しないのである。しかし、そのときの状況や歴史資料断片から読み取り、作者はこの「豊臣秀長」を「ある補佐役の生涯」として上梓した。本の内容は天才的指導者の信長と、その下で出世をはかる秀吉。その二人の偉大な人物の組み合わせがつくり出す、意外性、無理難題、一見不可能と思われる課題をさばく役割のほとんどを秀長が負い、見事こなし切っている。そのお膳立ての上に秀吉がいるのである。
 また、豊臣兄弟がこの時代、出世できたのも、当時の信長が行ってきた人材登用にカラクリがあった。家系による過去の偉業には関係なく、信長は①忠勤②目利き③耳聡を好んで採用していた。ここに、農民や武芸が達者でなくとも、機転が利けば出世するチャンスがあった。また、永楽・元亀のこの当時、他の主要な大名、越前の朝倉、甲斐の武田、越後の上杉、関東の北条、中国の毛利らの軍はまだ、半農半武の土着農民兵を主体としていた。しかし、信長は家来たちを専業武士としていたため、士農分離がはっきりしていた。そのため、諸国の農繁期にも攻めることができ、時代を先取りした組織を構築していた。よって、豊臣兄弟の出世するチャンスが生まれたのである。
 なお、秀長が1591年に死去し、その後豊臣政権が天下人への道から坂道を転がり落ちるようになったのは言うまでもない。

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