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○0339『業政駈ける』

『業政駈ける』
著者名:火坂雅志 出版社:角川学芸出版 文責 国語 坂本幸博

 甲斐の武田晴信(信玄)が信濃にその勢力を広げ、相模の北条氏康は武蔵に侵攻していく中、圧迫を受ける上野に、豪族達をまとめ、落日の関東管領山内上杉家当主、上杉憲政を盛り立てるべく奮戦する一人の男の姿があった。それが、箕輪城主長野業政である。
 軍略に長け、多くの豪族達に慕われる魅力の持ち主である業政は、攻め寄せる武田勢を何度も退ける。苦戦する武田方からは調略の手が伸びていくが、管領家に対する忠義を貫き、それらをすべて拒絶する。そこでは、旧知の仲である、武田家家臣真田幸隆(幸村の祖父にあたる人物)や、美貌のくのいち風花との人間味あふれるやりとりが描かれる。それを読み進めるうちに、損得勘定を優先しがちな現代に生きる我々は、上州武士の誇りを決して捨てない業政の姿にある感動さえおぼえるのである。
 苦しむ業政の耳に、上杉家の守護代として、越後を治める長尾家の当主、長尾景虎(後の上杉謙信)の噂が入ってくる。私心を捨て、おおやけの為に戦をするという景虎に自身と重なるものを感じたのか、上杉と長尾の橋渡しをし、景虎の協力を取り付けるのである。
 業政の目は確かであった。景虎は関東に出兵する。利益を求める侵略ではなく、義をその旗印とし、北条勢を蹴散らしていく。そして北条の本拠地である小田原の目と鼻の先である鎌倉まで兵を進め、鶴岡八幡宮で関東管領就任の儀式を執り行う。その姿を見て、満足したのだろうか、業政はその三ヶ月後、十四歳の嫡男業盛を残しこの世を去る。享年六十三。
 業政の死後、上杉謙信は救いを求めるものがあれば、どこにでも出兵し、義を求め続ける。しかし、業政の死が武田方に知られることにより、箕輪城は武田勢の猛攻撃を受けることになる。業政の死から五年後、ついに箕輪城は落城し、父から受け継いだ上州武士の誇りを守り抜いた業盛は、十九歳の若さで自刃することとなる。
 決して、有名な戦国武将とはいえないが、卓越した力を示した業政の生き様に、現代の我々は何を見いだすべきなのであろうか。

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