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○0348『新説 桶狭間合戦―知られざる織田・今川七○年戦争の実相―』

『新説 桶狭間合戦―知られざる織田・今川七○年戦争の実相―』
著者名:橋場日月 出版社:学研新書 文責 国語 坂本 幸博

 織田信長は「桶狭間」という谷間で休憩していた今川義元の本陣を急襲し、義元の首級をあげる。大将を討たれた今川勢は蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまう。これまで、小説や歴史ドラマ等で「桶狭間の戦い」はこのように描かれてきた。また、中学や高校での歴史の授業で説明されてきた内容もこんなところではないだろうか。
 この戦いは信長が優秀な武将であった証明となり、義元は貴族かぶれの愚将であるとの評価が少なからずなされてきた。信長の優秀性はともかくとし、義元は、家督相続の際の骨肉の争いから領国経営、また他の多くの合戦での様子を鑑みても、とても愚将であるとは思えない(事実、義元支配下の駿河・遠江は経済的に著しい発展を遂げている)。
 戦国三大奇襲(他は「厳島の戦い」と「河越夜襲」)の中でも最も有名なこの戦いは、実は、知られているようで、その実相がほとんど知られていないものだったのである。
 著者は多くの資料をあたることによって、その実相を浮かび上がらせている。義元の尾張侵攻の目的は何だったのか。実働兵員数はどれくらいであったのか。桶狭間の戦いに至るまでの間に、今川と織田にはどのようなやりとりがなされていたのかといった視点から、具体的に記述されていくその内容には驚きを禁じ得ない。
 中でも、「おけはざま山」に布陣した今川勢を「上の山」から織田勢が攻撃したという一文の解釈は、この戦いの実相を浮かび上がらせるうえで、非常に重要である。また、岡部元信という武将は、義元討死から十日も戦場にとどまり、鳴海城を守り抜いたばかりか織田方の刈谷城を攻め、城主の水野信近を討ち取っている。その後、信長に対して堂々と臆することなく、主君義元の首を返すよう交渉しているのである。この二つを考察するだけでも、いかにこれまでの「桶狭間」が後に作り出されたものであるかどうかが分かるというものである。
 歴史的な真実とは何か。それを明らかにするためにはどういった心構えと作業が必要であるか。そうしたことを学ぶうえで非常に有益な内容に仕上がっている一冊である。

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