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○0363『真田昌幸』

『真田昌幸』
著者名:竜崎攻 出版社:PHP文庫 文責 国語 坂本幸博

 戦国武将を対象とし、人気投票をすると必ず上位に食い込む人物の一人に「真田幸村」がいる。幸村は間違いなく天下の名将であり、大阪の陣でも最後まで徳川家康を苦しめたのである。
 大阪城に「真田」が入城した。その報告を受けた食事中の家康は驚きのあまり箸を取り落とし「父か子か」と震える声で側近に尋ねたとされている。そして「子(幸村)」であることを知ると、とたんに安堵のため息を漏らしたという。つまり家康が本当に恐れていた「真田」は幸村ではなく、その父「真田昌幸」だったのである。
 昌幸は真田幸隆の三男として生まれ、二人の兄も非常に優秀であったことから、他家に養子に出される。若き日は武田信玄の側近として、信玄から直接軍法を学ぶ機会を得て、信玄に「わしの両目のごとし」とまでいわせるのである。
 しかし、長篠の戦いで二人の兄が討死し、真田家を昌幸が継がなければならなくなる。主家である武田家が滅亡への坂を転がり落ちていく中、昌幸は自身の手腕を遺憾なく発揮し、小大名ではありながら、単独勢力として独立することに成功する。周辺には、上杉家、北条家、徳川家といった列強が立ち並ぶ中、昌幸は真田家を存続させるために奮闘するのである。
 神川の戦いでは巧みな戦術を駆使し、十倍の徳川勢を撃退する。また、関ヶ原の戦いでは、家康の息子、徳川秀忠率いる徳川軍主力三万五千を居城である上田城に釘付けにし、関ヶ原の戦いに遅参させるという戦功を挙げるのである。
 徳川家は最終的に昌幸に一度も勝つことができなかったのである。家康が恐れるのも、もっともであろう。しかし、関ヶ原では、昌幸、幸村親子の属した西軍は敗れることになる。その後、九度山に蟄居の身となるが、その寿命が尽きる直前まで、幸村に対し、家康を倒せと語り、その秘策も授けていたのだという。
 昌幸の夢は叶わなかったが、幸村は「真田日本一の兵(つわもの)」とまで呼ばれ、現代までその名をとどろかせることになるのである。昌幸は満足しているはずである。


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