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○0372『伊達成実』

『伊達成実』
著者名:近衛龍春 出版社:PHP文庫 文責 国語 坂本 幸博

伊達政宗の軍師として知られる「『智』の小十郎」こと片倉景綱と並び、伊達の双璧と呼ばれた「『武』の藤五郎」こと伊達成実の物語である。
 生涯「伊達の先陣」として戦場を走り抜け、数々の戦で戦功をあげ続けた成実であるが、若き日々には、当主であり、いとこである一つ年上の政宗を意識するあまり空回りすることもあったが、経験を重ねていくことにより、自他共に認める伊達の重鎮となっていくのである。そして江戸時代まで語り継がれることになる「人取橋の戦い」や「摺上原の戦い」などの武功をあげることになる。
 成実を成長させた一番の出来事は、渋川城での火災により、その右手に大火傷を負ったことではないかと考える。『政宗記』には「右の手指一にねばり合、一代の片輪になりける程に、其砌十死一生は云に及ばず」とある。成実はこの時、日常の生活以上に、戦場での槍働きができなくなるのではということを心配している。火傷が治癒したところで、指が四本くっついたままになっているのであれば、鉄砲はもちろん、弓は射られず、馬を操ることもできない。
 そうした中で、成実は片目のない政宗の言葉に救われる。「儂らは人より優れておるゆえ、天が少し力を削ぎ、平等にしたのじゃ。それでもまだ釣り合わぬと儂は思うておる。失ったものは戻らぬ。とすれば工夫せねばの。工夫せぬものは死者と同じ。」
 この言葉に発憤した成実は、小豆の入った袋を握り、手の曲げ伸ばしを繰り返すことで握力を取り戻す一方、戦場に出る際、太刀を握った右手を紐で縛り、手からこぼれぬようにするなどの工夫を重ねるのである。その後も戦国の世が終わるまで、出陣したすべての戦において「伊達の先陣」は変わることはなかったのである。
 この出来事は、我々に多くのことを示唆してくれる。たとえハンディを負うことになっても努力・工夫することを諦めてはならない。ハンディを負っていないものもまた然りなのである。
 成実の死後、ちょうど230年後、成実が活躍した「摺上原の戦い」の戦場となった福島県の猪苗代に野口英世が誕生する。英世も左手とはいえ成実と同じような火傷を負い、そのハンディをバネとし、数々の功績により、医学・理学に大きく貢献することとなる。その英世の残した「努力だ。勉強だ。それが天才だ。」という言葉のなかに成実と通じるものを感じるのである。

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