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○0375『信長と消えた家臣たち-失脚・粛正・謀反-』

『信長と消えた家臣たち-失脚・粛正・謀反-』
著者名:谷口克広 出版社:中公新書 文責 国語 坂本幸博

 織田信長は日本史上革新的な人物として知られているが、彼ほど家臣たちに裏切られた人物もいないであろう。明智光秀を筆頭に、荒木村重、松永久秀、別所長治、赤井直正など有力な大名たちが、信長政権の中で重要な地位を占めていたにもかかわらず、要所、要所において裏切りをしている。中でも、久秀や村重は何度も繰り返して裏切っている。
 この原因は、第一に家臣に対し、非常に厳しかったということが挙げられる。親の代からの譜代の重臣たち(林秀貞・佐久間信盛など)であろうが、これまで多大な功績を残したもの(安藤守就・梁田広正など)であろうが、一つでも間違いや気に入らないことがあれば、容赦なく切り捨てている。
 こうしたことから、信長は江戸時代でも人気がなかった。さまざまな資料に表れる信長の評価をみてみると、「人の非ももっての外に悪(にく)みいましめ給へり」や「局量の狭小なるは、遙かに諸将に劣れり」と述べられ、その性格面に大きな問題があったと捉えられている。安土・桃山時代の評価もそのようなものであったと考えられる。そのため、家臣たちからも信頼されていない部分が多かったのではないだろうか。しかし、信長は自身のそのような性格を理解していなかった様子がみてとれる。
 このことは村重に対する行動を考えてみればよく分かる。当時の資料をあたってみると、村重が離反したとき、信長は非常に驚き、「何の不満があったのか。もしそうであれば、言ってくれればこちらも考えたものを」といったことを述べているようである。そのため、また帰属することを説得するため、有力な家臣(明智光秀や松井有閑)を使者として派遣し、村重を丁重に扱おうとしているのである。それほど、信長は村重を信頼していたし、重用していた「つもり」だったのである。
 信長の「革新者」としての力は疑う余地がなく、非常に優れた能力の高い人物であったのは確かである。しかし、それだけでは、周囲はついてこれなくなり、その側を離れていくものが後を絶たなかったのである。
 現在の日本でも、社会のグローバル化が進み、いわゆる「能力主義」や「成果主義」が幅を利かせている。同じ事をするにも効率が重視され「無駄」という名の下に、多くの削減が行われている。それらは重要なことであり、問題視することではないのかも知れないが、当該図書を読んだ上でいろいろ考えてみると、そこには大きな落とし穴が潜んでいるのではと思えるのである。

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