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○0408『張遼』

『張遼』
著者名:桐谷正 出版社:PHP文庫 文責 国語 坂本幸博

 『三国志演義』をはじめとして、正史の三国志に関連する物語は、そのほとんどが蜀漢の立場で捉えられている。したがって、諸葛亮や関羽、趙雲といった人物に人気が集中し、敵役といえる曹魏の人物はあまり人気がない傾向がある。しかし、その中で非常に高い人気を誇っているのが、この物語の主人公である張文遠こと張遼である。
張遼ははじめ、三国志上最強といわれる呂布に従い、多くの戦いで功績をあげる。しかし、呂布も武運つたなく、捕らえられて曹操や劉備の前に引き出されることになる。その時、呂布はみじめに命乞いするのであるが、それを見た張遼は呂布の往生際の悪さを一喝するのである。
その様子に目をとめたのが曹操である。曹操は張遼を気に入り、自身の部下とするのである。そして新参であるにも関わらず、これまでの譜代の家臣たち同様に厚遇するのである。それは、曹操に長く仕える譜代の家臣たちからすればおもしろいことではなく、結果、張遼は彼らから疎んじられることになる。そういう状況にありながら、張遼は多くの戦いでめざましい功績を挙げていく。そして、最大の見せ場である「合肥の戦い」が行われるのである。
 215年、張遼・李典・楽進が7000人で籠もっていた合肥城に孫権が10万人ともいわれる大軍で迫るのである。その時、張遼は曹操の指示どおり、決死隊を募って、孫権軍に奇襲をかけることを主張する。しかし、これまでの軋轢から折り合いの悪い李典や楽進は躊躇する。しかし、その二人を張遼は熱心に説得し、ついに李典に「国家の緊急事態にあっては私怨は問わない」といわせ、共に出撃することを認めさせるのである。
 張遼は決死隊800人を募り、明け方、孫権軍に突入し大暴れする。孫権麾下の陳武が戦死、徐盛が負傷するなどすさまじい戦いぶりをみせる。戦いの中盤、張遼が孫権を発見したとき、すでに孫権は高台に逃れており、逆に孫権軍に囲まれてしまう。しかし、張遼はその囲みを、敵の意表を突き中央突破する。囲いを逃れた張遼は多くの部下がまだ囲みを突破できないことを知ると、再度大軍に突入、残された兵を救出し、またしても囲みを突破するのである。まさに鬼神ともいえる戦いぶりに、孫権軍は恐れをなし、張遼を攻撃しようとするものは一人もいなかったという。
 この先、呉では子どもが泣きやまないと「遼来来(張遼が来るぞ)」といって、泣きやませたという。「泣く子も黙る~」という言葉の発祥はここにあったのである。

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