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○0489『北条綱成』

『北条綱成』
著者名:江宮隆之 出版社:PHP文庫 文責 国語 坂本幸博

 関東の雄、北条家の氏綱から氏直までの四代に仕え、三代氏康とは同い年の義弟であり、状況によっては全権を与えられることもあったという武将である。戦場では常に先鋒を努め、「勝った、勝った」と連呼しながら敵陣に飛び込んで暴れ回る様は見るものの目を引きつけて止まなかったという。
 非常に信心深くもあり、若い頃から毎月15日には禊ぎをして、八幡大菩薩に戦勝を祈願していたという。戦場には朽葉色に染めた旗指物で戦っていたことから「黄地八幡の闘将」と呼ばれ、恐れられるとともに尊敬の念をもたれていたと伝えられる。
 その綱成の名をさらに高めることになったのは天文15年に行われた「河越夜戦」である。河越城に三千の兵で籠城する綱成を、関東管領、山内上杉憲政、扇谷上杉朝定、古河公方足利晴氏を筆頭とする関東諸大名連合軍八万が包囲するのである。その兵力差から落城は時間の問題と思われていたが、当主氏康が小田原から八千の兵を率いて救援に向かう。しかし、八万の連合軍を攻撃することはできず、数ヶ月間の膠着状態が続くのである。その間、綱成は城兵たちを励まし続け、士気を保ち続けるのである。
 そして、天文15年、4月20日、氏康は連合軍首領の憲政、朝定、晴氏に対して偽りの降伏を申し出て油断させたうえで、深夜、連合軍に突入するのである。連合軍はその攻撃に大混乱に陥り、扇谷上杉家では当主の朝定、重臣の難波田憲重が討ち死。山内上杉家では当主の憲政はぎりぎりのところで戦場を離脱するが、重臣本間江州、倉賀野行政が討ち死するという大惨事になってしまう。氏康はさらに追撃を試みるが、後方の部隊から撤退の法螺貝が吹かれると、深追いを避け兵を引き上げる。
 そしてその瞬間、わずかに安堵の表情を見せる連合軍に、城内で待機していた綱成が三千の手勢を率いて「勝った、勝った」の声と共に、晴氏の軍に突入するのである。結果、足利軍も散々に打ち破られ敗走していったという。
 この戦の最大の功績者は、籠城兵を支え続けた綱成であることは疑いの余地がない。城兵たちが耐え続けることができたのは、「綱成ならば自分たちを見捨てることはない」と固く信頼していたからであろう。

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