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○0495『立花宗茂』

『立花宗茂』
著者名:八尋舜右 出版社:PHP文庫 文責 国語 坂本幸博

 キリシタン大名として名高い大友宗麟の重臣である高橋紹運の実子であり、また大友家随一の名軍師である立花道雪の養子という、大友家のサラブレッドといえる名将である。幼少時から利発であったとのエピソードに事欠かず、その利発さを道雪が絶賛し、しぶる紹運に頼み込んで、無理に養子として迎え入れている。
 武勇に長け、朝鮮出兵では大活躍する。その時、豊臣家五大老の一人小早川隆景から「立花の三千は他家の一万に相当する」と絶賛されている。また九州平定戦の際、主家である大友家のために奮戦する様子をみた秀吉からは「その忠義鎮西一、その剛勇また鎮西一」と評価されている。
 関ヶ原の戦いでも主戦場であった関ヶ原戦には参加できなかったが、他の九州勢と共に大津城を攻め、京極高次を降伏させている。しかし、関ヶ原での西軍の敗北により、所領の柳川を没収されてしまい、浪人生活をおくることになってしまう。扶持もない状況であるので、その日の食事にも事欠く有様であったが、家臣たちは宗茂の側を離れず、寺子屋の講師や大道芸までして日銭を稼ぎ、宗茂を支え続けたという。宗茂自身、実父の紹運、義父の道雪と同じく、家臣たちに信頼され慕われていたことが容易に想像できる。
 その情報が徳川家の耳にも入ることになる。その内容に感動した徳川家では、宗茂を陸奥棚倉一万石の大名として取り立てるのである。そして大阪の陣では、徳川方として活躍し(徳川方は宗茂が大阪方に味方しないよう、何人もの人物が懸命に説得にあたったといわれている)、その功績から旧領柳川十万石の大名として取り立てられるのである。関ヶ原での改易後に大名として旧領に復帰できたのは、宗茂をおいて他にはいない。その点においても「天下無双の名将」といえるのである。
 戦上手名ばかりでなく、常に温厚にして誠実、義理堅く正直であった宗茂は、正に武士の中の武士といえるであろう。


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