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○0498『長宗我部元親』

『長宗我部元親』
著者名:荒川法勝 出版社:PHP文庫 文責 国語 坂本幸博

 「一領具足」と呼ばれる戦闘集団を率いて四国統一を果たした武将である。
 少年時代は色白でおとなしい性格であったことから「姫若子」と陰口をたたかれていた。また初陣も遅く、二十歳の時であったという。しかし、その初陣においてめざましい活躍をする。先陣をきり、縦横無尽に戦場を掛けぬけ、大槍で敵をなぎ払う姿に、それまで陰口をたたいていたものはあっけにとられ、以降、元親のことを「鬼若子」と呼ぶようになったそうである。
 その後、家督を相続とその所領を広げ続け、最終的には四国統一を果たす(一説には統一は完成していないといわれている)。当時、明智光秀を通じて、織田家とも良好な関係を保っていたが、信長の四国政策の変更から、信長の三男信孝と重臣丹羽長秀に率いられた「四国方面軍」に攻撃を受けそうになってしまう。長宗我部家の命運も風前の灯火かと思われたその時、本能寺の変がおこり四国方面軍は瓦解してしまう。本能寺の変の原因はさまざまにいわれているが、この件もその一因になったと考えられている。
 そうした形でピンチをくぐり抜けた元親であるが、その後、信長の後を引き継いだ秀吉に降伏し、四国全土に広げた所領を、土佐一国にされてしまうのである。それでも、家臣たちは元親を必死に支え続け、豊臣政権の大名として、その立場を確立していくのである。
 非常に、家臣思い、領民思いであったといわれている。ある時、他の大名たちと共に秀吉から饅頭を拝領したことがある。他の大名たちはその場で食べてしまったが、元親は端の部分をつまみとって食べただけで、懐紙に包んでしまう。それを見た秀吉に理由を尋ねられると「太閤殿下から頂戴したありがたいものなので、国元に帰って家臣たちにも分け与えたい」といったそうである。それを聞いた秀吉は大いに喜び、さらに多くの饅頭を土産として持たせたという。また、ある時、兵糧攻めをしようと城付近の麦を刈働きした際、半分を残しておくように指示する。それでは兵糧攻めができないと進言する家臣に対し、「すべてを刈り取ってしまっては領民が苦しむことになる」と答えたという。それを聞いた領民たちは感動し、元親の領地に組み込まれた後は、精一杯、長宗我部家のために尽くしたという。
 ちなみに、もともと姓は「宗我部」であったが、長岡郡に入ったため「長宗我部」を名乗ったという。また、氏族の香宗我部氏は、香美郡に入ったためにそう呼ばれるようになったといわれている。

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