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○0501『山県昌景』

『山県昌景』
著者名:小川由秋 出版社:PHP文庫 文責 国語 坂本幸博

 武田二十四将の一人であり、四天王の一人にも数えられる。武田信玄の父親である信虎につかえた飯富虎昌の弟(一説には甥)であり、虎昌が信玄に対して謀反を企てた際、そのことを報告し、それをきっかけに信玄に重用される。その後、裏切り者の姓を名乗るのは都合が悪かろうとの配慮から山県家の名跡を継ぐことになる。
 その後、多くの戦いで活躍する。特に三ヶ方原の戦いでは、徳川家康をあわやというところまで追い詰め「山県といふ者、恐ろしき武将なり」といわしめるのである。その部隊は鎧をすべて朱に染め「山県の赤備え」として、周囲に恐れられていた。敵は赤い鎧を見ただけで震え上がり、我先にと逃げ出す始末であったという。
 信玄が上洛途中で死に、その死を三年隠せと命じられたのも、この昌景ともう一人の四天王馬場信春である。それほどまでに信玄には信頼されていたのである。しかし、後継者の勝頼とはそりが合わず、次第に軽んじられるようになっていく。長篠の戦いでも、勝頼に撤退を進言すると「いくつになっても命は惜しいものとみえる」と揶揄される始末である。
 そして、運命の長篠の戦いに突入する。昌景は、献策も受け入れられず、揶揄までされたために、ここを自身の死に場所と考えていたのであろう。徳川の鉄砲隊に三度の突撃を繰り返し、壮絶な討ち死を遂げるのである。その時、前身に銃弾を浴び、口には軍配をくわえたままであったという。
 この戦いでは、武田軍の将が数多く討ち取られているが、そのほとんどが撤退時に追撃されて討ち取られているが、昌景は敵陣に突入しているのである。ここに昌景の気概を感じることができる。『信長公記』では、討ち取った将の筆頭に昌景があげられていることから、いかに昌景が畏敬の念をもって知られていたかが、よく分かるのである。


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