ToO Gijuku Topics(東奥義塾)
東奥義塾高等学校 公式ブログ

○0543『津軽世去れ節』

『津軽世去れ節』
著者名:長部日出雄 出版社:津軽書房 文責 国語 坂本幸博

 青森県出身である作者の初めての短編集である。「死者からのクイズ」「津軽じょんから節」「津軽世去れ節」「津軽十三蜆唄」「猫と泥鰌」「雪の中の声」の6編が載せられているが、そのうち「津軽じょんから節」と「津軽世去れ節」は第69回直木賞を受賞している。今回は特にその2編について記していく。
 「津軽じょんから節」は、津軽三味線の「名人」といわれながら、三味線をやめてしまった「高山茂平先生」の話である。茂平先生は「津軽三味線の神様」と呼ばれた白川軍八郎、「二大名人」と呼ばれた高橋竹山、木田林松榮の三氏に勝るとも劣らない腕前であったという。当時のことを知る人たちは皆「茂平先生が三味線を続けていれば、竹山、林松榮と並び『三大名人』と呼ばれていたはずだ」と証言している。その演奏法は、強いていえば「熱狂」である。竹山の「三味線は弾(ひ)くもの」や林松榮の「三味線は叩くもの」という、いずれのものとも違うものである。
 その茂平先生が三味線を止めた理由が、正にその演奏法と切り離せないものであることは、なんたる皮肉であろうか。好きでそれに熱中することがよい結果につながらないというのは、何とも言い尽くせない感覚である。
 「津軽世去れ節」は民謡の達人と呼ばれた「嘉瀬の桃」こと黒川桃太郎の話である。「嘉瀬の桃」は唄のみならず、三味線、踊り、太鼓、笛などあらゆるものに通じており、「八人芸」と評されている。
 それほどの人物であれば、さぞかし立派な人生を歩んだであろうことが想像されるが、実は昭和六年一月二十日の早朝、青森市古川の凍えたすきま風の吹き込む物置小屋で、誰にも看取られることなくこの世を去っているのである。実はその場所も確かではなく、厠であったとも伝えられている。葬儀も青森市が「無縁仏」として執り行っている。いまの津軽の唄の原型を作りあげるほどの才能に恵まれ、明るい笑顔と絶大な人気を持ちながら、どうしてそのような最後を遂げねばならなかったのか。それは当該作品を読むことでとらえてほしい。
 作者も文中で述べているが、津軽には「破滅型」と呼べるような芸術家が多く存在する。葛西善蔵しかり、太宰治しかりである。ここで当該図書に登場した「茂平先生」も「嘉瀬の桃」もいわゆる津軽の「破滅型」の典型である。茂平先生が破滅しなかったのは三味線を「止めた」からであり、そのまま続けていれば、その命を落としていたかもしれないのである。
 津軽に生まれ、津軽に育った人間として、これらの物語は、悲しくも魂を揺さぶる物語として私の胸に響いている。津軽生まれの人も、そうでない人も、この作品から津軽の魂を感じ取ってくれれば幸甚である。

学校所在地
036-8124               青森県弘前市石川長者森61-1  東奥義塾高等学校 TEL:0172-92-4111 FAX:0172-92-4116

東奥義塾

Author:東奥義塾

AKB48の渡辺麻友の3rdシングル特典DVDに本校制服が!!

この公式ブログが「あおもりICTコンテスト2010(学校Webサイト部門)」で「最優秀賞」!!

東奥義塾個人情報保護方針→こちら

カレンダー
プルダウン 降順 昇順 年別

03月 | 2017年04月 | 05月
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -