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○0555『太原雪斎と今川義元』

『太原雪斎と今川義元』
著者名:江宮隆之 出版社:PHP文庫 文責 国語 坂本幸博

 今川義元に関しては以前『新説 桶狭間合戦―知られざる織田・今川七○年戦争の実相―』の書評の際にも述べているが、意図的に過小評価されてきた人物であるように思う。
 家督相続の際の骨肉の争いを経て、今川家の領土を駿河、遠江、三河、さらには尾張の一部にまで拡大した手腕を見て、義元を「暗愚な将」であるといえるはずがない。もちろん、その支えになった人物として「黒衣の宰相」とも呼ばれた太原崇孚雪斎がいたことは間違いのない事実である。当該図書では、雪斎から教えを受けた義元が、雪斎存命中はともに手を取りながら、雪斎亡き後は、その教えを活かし、自身の手で道を切り開いていく様子が臨場感をもって表現されている。
 義元に関しては「公家かぶれ」「肥満体のあまり馬に乗れなかったので、輿で出陣した」など、浅い考察から後世に創作された「歪められたイメージ」を持つ人が少なくない。しかし、当該図書ではそういった俗説を一蹴し、丁寧に文章を展開させている。
 「桶狭間の戦い」においても、最新の研究から明らかになってきた事実を巧みに使いこなし、織田信長から偽りの降伏を申し出たことを決め手としている。当時の状況を考えてみると、信長から降伏の申し出があり、義元に謁見を求めることは十分に考えられるため、非常に興味深い内容となっている。
 今川家は義元の死によって事実上滅亡し、その子今川氏真は北条家や京都の公家衆を頼り、各地で食客となるが、最終的に徳川家に保護され、以後「高家」として、徳川家の禄をはんでゆくことになる。
 家康の逸話として、少年時代は今川家の人質として暗くつらい時を過ごしたといわれることがある。しかし、ここで述べたような今川家に対する処遇をみても、自身につらい境遇を強要した家をこれほど厚遇するだろうかという疑問が残る。この点からも鑑みるに、義元は当時少年だった家康を人質ではなく、今川の一門に準ずる存在として待遇していたという蓋然性はかなり高いと思われる。事実、家康の教育係は雪斎であり、家康の妻は今川一門の姫である。
 義元を中心に、今川家の研究は、どんどん新しい展開を見せている。今後も、多くのことが明らかになると共に、後の世に与えた影響等についても新たな知見が述べられていくことを期待したい。


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