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○0597『みそひと文字の抒情詩』

『みそひと文字の抒情詩』
著者名:小松英雄 出版社:笠間書院 文責 国語 坂本幸博

 1888年、正岡子規は「再び歌よみに与ふる書」の中で、「貫之は下手な歌よみにて、『古今集』はくだらぬ歌に之有候」として『古今和歌集』を全面的に批判している。また、和辻哲郎は1922年に「『万葉集』の歌と『古今集』の歌との相違について」という論文で、『古今和歌集』の冒頭の和歌(としのうちに はるはきにけり ひととせを こそとやいはむ ことしとやいはむ)について、「集中の最も愚劣な歌の一つである」と断定している。
 この二人は、『万葉集』こそ優れた歌集であり、『古今和歌集』は劣ったものであるという立場に立っている。当時、論壇ではこの考え方が一般的であった。そして、約100年が経過した現代においても、そういった論調が聞かれることは珍しくない。
 しかし、当該図書の著者はその考えに一石を投じている。まず、筆者は文学の世界には、その論自体よりも、論者がだれかということを重要視する風潮があることを指摘している。どういうことをいっているかではなく、誰がいっているかということなのである。つまり、有名大学教授のA博士の論が、地方無名大学B講師や一般のC氏の論よりも重要視されるということである。たとえ、B氏やC氏の論がいかに優れていてもである。そういう立場で研究を進めても、進歩や発展ということはありえるのであろうか。
 次に、和歌の中身に関しては、筆者は『古今和歌集』の和歌は「複線構造」になっており、それを理解できなければ真実の姿は見えてこないと指摘している。「複線構造」は学校教育や文学の分野では「掛詞」として知られているものである。筆者がなぜ掛詞という伝統的な術語を使用しないかというと、「掛詞」では一つの意味が中心となり、もう一つの意味は副次的になってしまうと考えているからである。それに対して、複線構造であれば二つの意味は並立して優劣なく存在することになる。
 このように筆者は術語一つから厳密に考察し、不適切であると結論づければ躊躇なく変更していく。そういう態度はぜひ見習うべきであろう。大切なことは目の前にあることを「正しく理解」することである。筆者のそうした姿勢が浸透していけば、研究を対象とした学会のみならず、一般社会もよいものになっていくのではないだろうか。

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